チュルリョーニスの初期の絵画 『葬送交響曲』と『森の囁き』



1902年の7月14日にライプツィヒ音楽院を卒業したチュルリョーニスは、すぐにワルシャワに帰ってしまいます。そして、8月からはワルシャワにあった小さな絵画学校に通い始めるのでした。

チュルリョーニスにとって、絵画を描くこともまた、長年思い続けていた夢でした。彼が絵画に出会ったのは彼がまだプルンゲのミコーラス・オギンスキス公の音楽学校で教育を受けていた14歳頃のことで、オギンスキス公の屋敷に雇われていた画家に影響を受け、多くの素描や風景画を描いたのでした。その長年温めていた夢が、1903年ごろ(27~28歳ごろ)から急に開花し始めます。

そして、チュルリョーニスが初めて職業画家として描いたのが連作『葬送交響曲』と『森の囁き』でした。また、抽象絵画を描いた絵はがきなども残っています。

そこで今日は、連作『葬送交響曲』と『森の囁き』をご紹介します。

連作『葬送交響曲』(1903)は、7枚のパステル画からなり、葬送の行列を描いています。
「チュルリョーニスの故郷のドルスキニンカイでは葬送の行列は古来の伝統に従って夕刻に始まり、参列者たちは手に手にろうそくの火を灯し、湖を巡る道を進んでお墓のある礼拝堂へと向かうのだった。」(『チュルリョーニスの時代』p. 168より引用。)

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『葬送交響曲』 IIc0193950_1331625.jpg

『葬送交響曲』 IIIc0193950_1333599.jpg

『葬送交響曲』 IVc0193950_1335058.jpg

『葬送交響曲』 Vc0193950_134050.jpg

『葬送交響曲』 VI
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『葬送交響曲』 VII
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また、『森の囁き』(1903-04)は油彩で描かれており、チュルリョーニスが尊敬していた象徴主義画家であるアルノルト・ベックリンの絵画に影響を受けたのではないかと言われています。
チュルリョーニスは、ベックリンと同じような色調で絵画を描き、『森の囁き』は「木々の幹を竪琴のようにつま弾く手を浮かび上がらせて」います。(『チュルリョーニスの時代』p. 167より引用。)

『森の囁き』c0193950_1511295.jpg









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チュルリョーニスの時代』(佐藤泰一・村田郁夫訳、ヤングトゥリープレス 2008)
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by ciurlionis | 2009-01-22 23:59 | 美術