リトアニア・ポエティック・ドキュメンタリー映画上映会「リトアニア映画の夏」の第3回を観にリトアニア大使館へ伺いました。

拝見したのは、下記の2本。

1.Praėjusios dienos atminimui (In Memory of the Day Passed by / 過ぎた日に)
監督・脚本: シャルーナス・バルタス (Šarūnas Bartas)、1990年 40分 モノクロ



2. Dienoraštis (Diary/ 日記)
  監督・脚本: オクサナ・ブラヤ (Oksana Buraja)、2003年 24分 カラー
c0193950_15164768.jpg


一本目の映画で観られた古きリトアニアの風景とカリヨンの演奏風景が特に印象的でした。

リトアニアのカリヨンはカウナスとクライペダにしかないので、恐らくカウナスのものだと思われるのですが、その演奏された曲に聞き覚えがあるので後日調べてみたいと思います。

c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-20 23:59 | 映画

六本木方面に用事があったので、マン・レイ展にも立ち寄ってみた。

c0193950_123296.jpg


マン・レイの写真のセンスには特別なものを感じた。写真の域を脱しており、まさに芸術作品としての写真を提示された気がした。

2008年にロンドンのテート・モダンで「デュシャン、マン・レイ、ピカビア展」を観ていて、こちらもその時の印象が強烈だったので、今回のマン・レイ展は代表作が少なくて残念な印象が残った。ロンドンの展覧会の一部をHPで観られるのでご興味があればご覧ください。(部屋番号をクリックすると作品が観られます。)
Tate Modern| Past Exhibitions | Duchamp, Man Ray, Picabia

音楽好きなので、マン・レイが撮ったストラヴィンスキーやサティの写真があって嬉しかった。マン・レイの撮ったポートレートはどれも被写体の本質を鮮やかに捉えているのが素晴らしいと思う。

会期は2010年9月13日(月)まで。

先日、友人が下記の書籍を勧めてくれた。ダダに興味のある方はぜひどうぞ。

ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集 (光文社古典新訳文庫)

c0193950_11595254.jpg


また、2008年にロンドンのテート・モダンで行われた展覧会の図録は下記のようなものでした。なかなか充実した内容で見ごたえがあります。
Duchamp, Man Ray, Picabia

c0193950_1529534.jpg


c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-20 23:58 | 美術

遅ればせながら8月13日の出来事を書いている。

帰国してまだ二日、時差ぼけで頭がぐるぐるしている。

16時に麻布で約束があるので、その前にどこか展覧会へ行こうと思い立って上野の東京藝術大学大学美術館へ。

そこで「ポンピドー・センター所蔵作品展 シャガール──ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛~」というものを観てきた。

c0193950_1118970.jpg


ポンピドゥー・センターの所蔵するシャガールはこんなものだったか? 以前訪れたフランスのニースにあるシャガール美術館での記憶が交錯しているのかも知れないが、フランスでのシャガール体験はもっと強烈だったと記憶していたので、今回の展覧会はシャガールに関しては期待以下のものだった。そんななかでも《ロシアとロバとその他のものに》と《立体派の風景》には目を見張るものがあり、じっくりと鑑賞したのは言うまでもないが。

とりわけ自分が足を運んで良かったと思ったことのひとつに、ゴンチャローヴァ(ゴンチャローワ)の《収穫物を運ぶ女たち》(連作「葡萄の収穫」9面のうちの1面)をみられたこと、またラリオーノフの《タトリンの肖像》を観られたことが挙げられる。

ゴンチャローヴァの単純な構図のなかに観られるあふれるような躍動感が印象的。このような作品はなかなか描けるものではないし、日本で観る機会などそうあることではないので、観ることができただけでも有り難かった。

リトアニア出身のリプシッツの彫刻《ギターを持つ船乗り》もあって嬉しかった。

会期は、2010年10月11日(祝)まで。

c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-13 23:59 | 美術

朝10時にエグレさんがホテルまで迎えに来てくださった。ヴィリニュス空港までは車で10分ほど。

彼女はスーツケースを持つなり「25kgはありそうね~」とおっしゃった。空港の入り口でエグレさんにお礼を述べ、再会を誓ってお別れした。

重いスーツケースを引きずりカウンターへ。まぁ、ここまでくると超過料金を取られても仕方ないか?と思っていたが、カウンターで搭乗手続きを済ませると「5kg多いから手荷物に移動して」と言われ、持参していた麻袋に超過の5kg分を移動。移動するだけで超過料金を取られずに済んだ。内心ほっとした。

11:45の70人乗りくらいの飛行機でヘルシンキへ。さすがにプロペラ機ではなかった。以前は小さいサンドイッチが出たような気がするのだが、今回は行きも帰りも短距離路線は飲み物のみ。経費削減なのだろうか?

ヘルシンキ空港で3時間ほど待ち時間があったのだが、昼食をとったり無料のWifiでi pod touchでネットサーフィンをしていたらあっという間に搭乗の時間に。

機内でも同年代の男性と隣り合わせになったので話がはずみ退屈せずに済んだ。彼は社員旅行でスウェーデンを旅行されてきたとのことだった。

フィンランド航空は悪くないのだが、食事に工夫がないし、他の航空会社にあるようなアイマスクやスリッパや歯ブラシのサービスもない。まぁ、きっとその分航空券が安くなっているのだろう。

しかし9時間ちょっとで成田まで帰れるのだから有り難い。

8月11日の朝に成田に到着すると身体にまとわりつくように暑さが襲ってきた。。。

そうだ、これが日本の夏の暑さだ!

c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-10 23:59 | 旅行

いよいよ今回のリトアニア旅行も終わりに近づいてきた。

朝からヴィリニュス大学裏のピリエス通りのマーケットを歩く。そこでソヴィエト時代のメダルやら切手やら絵葉書を売っているアンターナスというおじさんからチュルリョーニスのメダルとピンと切手と絵葉書と本を購入する。

その足で先日購入した物たちを預かって戴いていた塩谷さん宅へ伺い、塩谷さんに手伝って戴きながら箱に詰めて郵便局まで運び、郵送。。。自分ひとりではできないことなので大変助かった。。

そうこうしているうちにお昼の時間になったので、塩谷さんのご友人の木原さんという女性と3人でピリエス通りのリトアニア料理のお店へ。

ロンドン在住の木原さんはご旅行でリトアニアへいらしていた。リトアニアの魔女の研究をされているとか。とても興味深く思いました。私はピンクのビーツの冷製スープ、シャルティ・バルシチェイ(šaltibarščiai)もオーダー。今回の旅の食べ納めをした。
c0193950_151968.jpg

c0193950_15201312.jpg


3人でリトアニア料理をつついていたら、私は音楽家支援基金を訪問する時間になってしまったので、また夕方に合流する約束をして一時退散。

音楽家支援基金の建物に到着するとみなさん笑顔とハグで迎えてくださった。

コーヒーとお菓子をごちそうになりながら旅の報告をし、音楽家支援基金についてのお話しを伺った。また今日のリトアニアの新聞 "Rytas" に私に関する記事が載っているとコピーまで頂戴した。そういえば学会の日にインタヴューを受けていたのだ。

帰り掛けにリトアニアの特産物であるリトアニア・リネンでできたテーブルクロスやパンを入れるかごを頂戴し、この度のご招待のお礼と「また来年の夏にお会いしましょう」と述べて失礼してきた。

ゲディミノ大通りで本屋と新聞社に立ち寄った後、昨年チュルリョーニスに関する本をたくさん購入した古本屋さんに行ってみたら、先週は夏休みで閉まっていた本屋がなんと開いている。なかに入ると店長のおじさんは私のことを覚えていてくださって、新たなる本やLPを色々と見せてくださった。そのなかにランズベルギス氏が1965年に出した処女作『春のソナタ』があったので購入。この本を読みたいという気持ちがさらなるリトアニア語勉強のためのモチベーションとなったことは言うまでもない。リトアニア語が読めなければこの本もただの紙切れ。「頑張って勉強して読めるようになろう!」とそのとき誓ったのでありました。。。

夕方に再び塩谷さん宅を訪問して木原さんとともに夕ご飯をごちそうになった。また近いうちにどこかでお会いしましょうと約束してお別れしてきた。

ヴィリニュス最後の夕日はまるでチュルリョーニスの絵画のような色をしていた。
c0193950_15225743.jpg


ホテルへ戻り、音楽家支援基金の方から頼まれた音楽学会参加者への寄せ書きの宿題を済ませ、スーツケースのなかを整えて就寝。。。

c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-09 23:59 | 旅行

プルンゲのホテル・ベルジャスは学生寮のような建物だったがしっかりとした朝食が出たので有り難かった。町の中心にあるホテルを後にし、駅の横にあるバスターミナルまで歩く。徒歩10分ほど。
c0193950_1271295.jpg


10:30発のヴィリニュス行きの高速バスに乗る。30人乗りくらいの中型バスだ。5人ほどが乗りこみいざ出発。30分ほどでまずはリエターヴァスの町に到着。さらに乗客を乗せて2時間半ほど走りカウナスへ。10分くらい休憩があった後、14:50くらいにはヴィリニュスに到着した。4時間20分のバスの旅。車窓からリトアニアの大自然をながめていたらあっという間だった。

ホテルで荷物を降ろし、そのままVasaros Terasaの古本を売っている女性のところへ。マーケットは閉まりかけていたが女性は待っていてくださった。

先週彼女からチュルリョーニスの画集を購入した際に、私が探している1880年出版のある本をつい最近手に入れたと言っていたので、再度出向いて購入したのだ。外国人価格で少々高額ではあったが仕方があるまい。。

そこで友人たちと合流。アンディーさん経営のWOO BARで軽食を採ったあと、イーヴァさんとエレナさんが親切にも「チュルリョーニス美術学校の中庭にチュルリョーニスの像があるから連れて行ってあげる」と言うので、一緒に歩いていくことに。ゲディミナス通りのサンデー・マーケットを見ながら20分近く歩いた。

確かに結構大きいチュルリョーニスの胸像があった! これは知らなかったな~。チュルリョーニス美術学校は、ダンスにも力を入れているらしくピアノの音が聴こえていたし、ダンス・シアターもあった。
c0193950_12105217.jpg


ホテルに戻ったらエグレさんが私のスーツケースをフロントへドロップしておいてくださった。お蔭さまで身軽な旅ができてとても助かった。

近くのスーパーでブラックカラントらしきベリーを買ってきて食べた。翌朝ホテルの窓から見えたヴィリニュスの朝日が美しかった。
c0193950_12334451.jpg


c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-08 23:59 | 旅行

朝10時に博物館のダヌーテさんとホテルの前で待ち合わせ。そのまま徒歩で町の教会へ。
c0193950_22575287.jpg


その教会のすぐ手前に新婚のチュルリョーニスとキマンタイテが約2年間過ごした家があった。現在は一般の方が住んでおられるそうです。
c0193950_22585728.jpg


彼は町を火の手から守っているフロリヨナス神だそう。
c0193950_2302366.jpg


図書館の前には独立期を象徴する自由の女神像が。
c0193950_2331295.jpg


川を渡っていよいよオギンスキス(オギンスキ)公の宮殿へ。
c0193950_2342113.jpg


チュルリョーニスはミコラス・オギンスキス公の主治医マルケヴィチュスに音楽の才能を見いだされ、彼の勧めでオギンスキス公の音楽学校へ入学することになる。チュルリョーニスは1889年~1893年までの4年間、ここで音楽の基礎を学び絵画を描き合唱団で歌い管弦楽団ではフルートを担当していた。オギンスキス公の孫ミコラスもチュルリョーニスの才能を認め、ワルシャワ音楽院とライプチヒ音楽院留学のための奨学金を支給した。

宮殿は残念ながら改修中だったが、内部はŽemaičių dailės muziejus(サモギティア民俗博物館とでも言おうか)になっていてリトアニアの現代アートやキリストの像などを観ることができた。

しばらく庭園を散策。ピンク色の睡蓮が咲いていた。
c0193950_2355534.jpg


この辺りでチュルリョーニスも団員として活躍した管弦楽団が演奏していたという。。
c0193950_23122350.jpg


庭の片隅にチュルリョーニスを記念した塔が立っていた。塔に刻まれた1888年は間違いで1889年~1893年が正しいそうだ。
c0193950_23431158.jpg


ここが宮殿の門、くまが迎えてくれる。
c0193950_23173152.jpg


町の中心へ戻りダヌーテさんと昼食を採ったのち、今度は近郊の町Rietavas(リャターヴァス、リエターヴァス)まで行くためバスターミナルへ送っていただいた。

ダヌーテさんがリエターヴァスにあるオギンスキス歴史博物館の館長へ連絡をしておいてくださり、私が博物館へ着くと館長は英語のできる近くに住む女性を呼んでくださっていた。
c0193950_23313352.jpg


博物館へ入るとその廊下には日本人写真家小沢俊哉氏の写真がずらり。なんと2007年?にカウナスやリエターヴァスでの巡回写真展が行われたとのこと。ここで日本人の写真を拝見するとは思わなかった。

館長が親切にリエターヴァスの歴史を説明してくださり、またミコラス・オギンスキスが作曲した作品を聴かせてくださった。そして最後にそのCDをくださったので、博物館のDVDを購入。

チュルリョーニスはオギンスキス公の管弦楽団のフルート奏者としてたびたびリエターヴァスを訪れていたそうだ。

ここの町は昔リトアニアの最先端を行っていて、ベルが電話を発明して間もなくリトアニアで初めての電話回線が引かれ、教会には電気が通ったらしい。

館長も通訳の女性ルータさんもとても親切な方で帰りはバスターミナルまで送ってくださり、バスの時間までギラとアイスクリームをごちそうしてくださった。そしてバスの運転手さんに「彼女をホテルまで送ってあげて!」とお願いまでしてくださりとても有り難かった。「来年にはこの町の公園も整備されてきれいになるからまた来年いらっしゃい」とおっしゃっていた。

リトアニアの人々は本当に親切で誠実でここに住みたくなってしまうほどだった。

ここで受けた親切は一生忘れないだろう。

ホテルへ無事戻り、明日のヴィリニュス行きの方法を模索する。こんな田舎町の学生寮のようなホテルなのにWifiが使えたので助かった。ipod touchでバスの時間を検索する。電車で帰るとある約束の時間に間に合わないので、バスで戻ることにした。幸い日曜日は高速直通バスが走っているのだ。

夜中に雷鳴が轟き雹が降った。ホテルの天井が崩れてきやしないか心配になるほどだった。。。

c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-07 23:59 | 旅行

エグレさんにヴィリニュスまでスーツケースを運んでもらう約束をして、私はリュックサックを背負って一路プルンゲを目指すことに。8:40のバスでまずは経由地のカウナスへ。

2時間半ほどでカウナスに到着。プルンゲ行きのバスの時間まで2時間近く時間があったので、杉原千畝記念館を訪れてみた。3年前に訪れた時は改装中だったのだが改装が終わって彼の軌跡を描いた素敵なパネルが完成していた。そのせいもあってか入館料を徴収するようになっていた。10リタスなり。
c0193950_21224967.jpg

c0193950_21281748.jpg

私のすぐ後に、日本人女性が入って来られた。ご旅行で初めてリトアニアへいらしたのだという。

ヴィデオを拝見し、その後展示パネルなどを見て回った。そうこうしている間に時間がどんどん過ぎて行き、友だちとの約束の時間になってしまった。

急いで待ち合わせ場所の大聖堂まで走って行き、一緒にランチをしてまたバスターミナルまで戻った。その友だちがプルンゲ行きのバスに乗せてくれた。バタバタしてしまい申し訳なかった。

さらにバスに乗ること3時間半ほどでプルンゲへ到着。バスターミナルで地元の学校の先生と博物館の通訳さんが待っていてくださった。

まずは町に2件しかないホテルのうちのひとつ、ホテル・ベルジャスへ行き荷物を降ろし、その足でチュルリョーニスとキマンタイテが結婚式を挙げたという近郊の町シャテイケイにある教会へ行くことに。

とうとうここまで来てしまった! 長年の夢だったので感慨無量だった。
c0193950_2130583.jpg

1909年1月14日(旧暦の1月1日)にチュルリョーニスとキマンタイテはこの教会で結婚式を挙げた。その当時、プルンゲの教会は木造のもので、しかもキマンタイテの苦手とする彼女の叔父が神父を務めていたため、キマンタイテの希望で石造りのシャテイケイの教会で式をあげることになったのだという。
c0193950_2214536.jpg


礼拝が毎日夜7時から行われるというので、それまで近くの民家でお茶としぼりたての牛乳をごちそうになった。隣の家で牛が「も~も~」言いながらひかれてくるのが見えていたのだが、ごちそうになった牛乳はその牛さんから採られたものだという。大自然のなかで飲む搾りたての牛乳の味は格別だった。
c0193950_21382763.jpg

c0193950_21395930.jpg


礼拝の時間になったので再び教会へ。少しだけ礼拝に出席し、隣接する墓地を散策した。
c0193950_2245157.jpg

c0193950_224881.jpg


礼拝終了後、親切にも司祭さんが塔へと続く扉の鍵を開けてくださったので塔へと登り、ティルシェイの町の教会の塔を望むことができた。
c0193950_21473316.jpg


運転手さんと通訳の女性に感謝の気持ちを伝えてホテルまで送っていただいた。
本当に充実した一日だった。

c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-06 23:59 | 旅行

朝一番で郵便局へ行き、昨日頂戴した本やら贈り物を郵送。ドルスキニンカイから日本まできちんと届くか不安でしたがとても持って帰れる重さではないため仕方なく。

11時にチュルリョーニス記念博物館前に集合して、学会参加者で近くの村へ遠足。

まずはベラルーシとの国境近くのシュヴェンドゥブレという村へ。ここはチュルリョーニスが「ライガルダス谷」という絵画を描いた場所としても有名。
c0193950_2064431.jpg

チュルリョーニスが100年前に描いたそのままの風景が未だ残っていて少々驚きました。

目に優しい緑と涼しげな沼が点在する大自然に囲まれた贅沢な場所でした。未だこのような自然が地球上に存在するなんて少々信じられないほどでした。
c0193950_20151037.jpg


ネムナス川のほとりへ移動し、付近を散策。ユラーテ・ランズベルギーテさんが終始英語で通訳をしてくださって助かりました。
c0193950_20175225.jpg


その後、近くの教会にある彫刻家の墓を訪れたり、木彫作品をひとりで製作している巨匠アンターナス・チェスヌリス氏の公園にも立ち寄って自然を満喫しました。
c0193950_20221990.jpg

c0193950_20245233.jpg

c0193950_20261182.jpg


少々忙しいスケジュールだったらしく、お昼の時間が決まっているので戻りますとのこと。
いつものレストランで急いで昼食を採り今度は森の博物館へ。
c0193950_2032224.jpg


民族衣装を纏った地元の方々が私たちを待っていてくださった。
c0193950_20294958.jpg

リトアニアの民族音楽と踊りを鑑賞し、その後リトアニアのリキュールやチーズ、お菓子などをごちそうになりました。

そして今夜も市立博物館へ演奏会を聴きに行きました。チュルリョーニスのピアノ・ソナタ、四手連弾用即興曲、シューマン、ライネッケ、ブラームスの作品などが演奏され、ドルスキニンカイ最後の夜を楽しみました。
c0193950_2050389.jpg


みなさまに「またどこかでお会いしましょう」と再会を誓ってホテルへ戻りました。

c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-05 23:59 | 音楽

朝9時からドルスキニンカイ市長を訪問。ここ数年でドルスキニンカイの町を再生させた実力者とのこと。恰幅の良い立派な方でした。

40分ほど滞在した後、昨日と同じ学会の会場へ。

今日も15人ほどが発表。みなさん熱の入った発表のためもっぱら時間オーバー。

遅めの昼食を採り、2時間ほど遅れて午後の部がスタート。コーヒーブレイクには、リトアニアの新聞社 "Rytas" の取材を受けたりもしました。(8月9日の新聞に記事が掲載されました)

私の発表はしんがりでした。論題は「日本におけるチュルリョーニス」。わが国にチュルリョーニスの芸術がどのように伝わり、広まったかを年代順に追った内容です。パワーポイントもきちんと動き、時間通りに終えられて安心しました。みなさん遠い異国の地でチュルリョーニスがどのように受容されたか、その歴史にご興味を持たれたらしく、真剣にご静聴くださいました。最後には大きな拍手も。とても有り難かったです。

ヴィリニュスのチュルリョーニスの館館長から出版したばかりのチュルリョーニスの本と薔薇の花を頂戴し、感慨無量でした。はるばる日本からやってきて本当に良かったと思えた瞬間でした。
c0193950_1951175.jpg


またドルスキニンカイのチュルリョーニス記念博物館の館長を33年も務めたネゼルスキス氏から重要な歴史的事実を伝えられました。1967年のオデッサでの出来事を知る数少ない人物なのです。

今夜もまた湖のほとりの市立博物館で演奏会が催されました。オスヴァルダス・バラカウスカス氏の作品を中心に、ジュリアード音楽院で研鑽を積んだという双子のプロジウカス兄弟(ピアノとヴァイオリン)による演奏や、室内アンサンブル、ヴィリニュス・アーセナルによるかなり質の高い演奏を聴くことができました。
c0193950_19393982.jpg


c0193950_11172377.jpg

[PR]
by ciurlionis | 2010-08-04 23:59 | 旅行