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芸術新潮2010年10月号のチュルリョーニス特集を読みました。

ランズべルギス教授、チュルリョーニスのひ孫のズボヴァス、そして、先日の音楽学会でお目にかかったラサ・アンドリュシーテ・ジュキエネ教授のインタビューを楽しく拝見しました。

ただ、小沼純一氏の執筆した「音楽篇」は具体性に欠ける文章でチュルリョーニスの音楽に関してなにも得るものがありませんでした。かえって誌面の印象を悪くしている気さえしました。

チュルリョーニスの音楽を愛し、詳しく知る人は大勢いるのに、その方々によって執筆されなかったのは残念に思いました。

付録のCDは、昨年リトアニア国立交響楽協会からリリースされた2枚組CDからの抜粋盤。以前のランズベルギス録音にあったチュルリョーニス音楽の素朴感が薄れ、洗練された演奏になっています。

個人的にはソ連時代にメロディヤからリリースされたランズベルギス氏の演奏するピアノ曲のLPや、1998年にEMI ClassicsからリリースされたCDの録音の方が、本来チュルリョーニスの音楽のもつ牧歌的で素朴なイメージがよくあらわれていて、おすすめです。

芸術新潮誌上では、詳しい曲目の解説がなかったので、軽く解説をしておきます。

トラック1~5
プレリュードなど5曲 (VL186, 187, 189, 188, 197)

チュルリョーニスが1899-1903年に作曲した一連のプレリュードは、幅広い和音と多声のテクスチュアからなり、ロマン的な要素の上に、リトアニア民謡の旋律やリズムが用いられていて、最もチュルリョーニスらしい作品です。なかでも1901年の夏にリトアニアの保養地ドルスキニンカイにて作曲されたプレリュードは「ドルスキニンカイ・プレリュード」と呼ばれ、牧歌的で素朴な印象が強い作品。このCDに収録されているVL187, VL188, VL260の3曲はジョナス・メカス監督の映画『リトアニアへの旅の追憶』でも使用されていたので聞いたことがある方もいらっしゃるはず。

トラック6
"Sefaa Esec" の主題によるピアノのための変奏曲 (VL258)

1904年の作品。親しい女友達の名前、ステファニア・レスキェヴィチ (Stefania Leskiewicz) の綴り字から9音 "Sefaa Esec" (変ホ、ホ、ヘ、イ、イ、変ホ、ホ、ハ)を採用して音列化し、その主題をもとに7つの変奏曲が作曲されました。

トラック7
プレリュード ト長調 (VL338)

1909年にドルスキニンカイで作曲された8曲のプレリュードのうちの一曲でチュルリョーニス晩年の作品。この年初めにソフィヤと結婚し、自作の絵画と音楽作品がともにサンクト・ペテルブルグで発表されるなど、幸せの絶頂にありました。この曲を含む8曲のプレリュード(VL335, 337a, 338, 339, 340, 341, 343, 344)を聴くと、音楽を知り尽くしたチュルリョーニスの宇宙観を感じることができます。独創的なテクスチュアに新古典主義的な方向性すらうかがえます。そしてこれらの集大成としてチュルリョーニス最大の傑作、フーガVL345が生まれることになります。

トラック8
Pater Noster 「主の祈り」(パーテル・ノステル)(VL260)

1904年にワルシャワで作曲された作品。チュルリョーニスの音楽は1904年を境にして大きく作風が変わりました。この時期チュルリョーニスは彼自身の芸術への道を模索しており、美術学校で絵画を学ぶようになったことも影響したのか、空間的な拡がりや、新しい現代的な和声やリズムを試すようになっていきました。その頃の作品のひとつです。


下記にランズベルギス教授の演奏するおすすめCDを載せておきます。

”Born of the Human Soul” Čiurlionis Piano Works by Vytautas Landsbergis



また、リトアニアをソ連邦からの独立回復へと導いたランズベルギス教授の英語による自伝も出版されていますのでご興味のおありの方はぜひどうぞ。

Lithuania Independent Again: The Autobiography of Vytautas Landsbergis [Hardcover]



芸術新潮 2010年 10月号 [雑誌]



# by ciurlionis | 2010-09-27 23:59 | | Trackback | Comments(0)

大田黒元雄が愛用し、1918年に来日したプロコフィエフも弾いたとされる1900年製のスタインウェイのグランドピアノが修復され復活し、再び音を取り戻すことができた。

その点で意義深い演奏会だったと思う。

実際に音を聴いた感想は、「木箱が純粋に響いていた」という感じ。

以下、備忘録。

2010年9月24日(金)
19:00~
浜離宮朝日ホール
出演/根岸一郎(バリトン)*、釜洞祐子(ソプラノ)**
曲目/
ドビュッシー:
アラベスク 第一番・第二番
夢、マズルカ、ロマンティックな円舞曲
カノープ、亜麻色の髪の乙女、沈める寺
月の光
亜麻色の髪の乙女
菅原明朗:
ピアノ組曲「断章」より Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ
ピアノ組曲「白鳳の歌」より 第一曲「﨟纈」
ドビュッシー:
人形のセレナード
(休憩)
菅原明朗:
韓藍花、過近荒都詩、無題、田舎歌、白い姉の歌、丘の上*
ドビュッシー:
ロマンス*
堀内敬三訳詞歌曲:
御身を愛す(ベートーヴェン)、母の教え給いし歌(ドヴォジャーク)、スペインのセレナーデ(ビゼー)、メドレー「青空」「アラビヤの唄」「蒲田行進曲」、ホフマンの舟唄(オッフェンバック)、インドの歌(リムスキー=コルサコフ)、別れの曲(ショパン)**
ビゼー:
「カルメン」より セギディーリャ**
(アンコール)
レハール: 「メリー・ウィドウ」の二重唱* **
フリース: 「モーツァルトの子守唄」* **




チュルリョーニス・ファンにお知らせです。

芸術新潮2010年10月号の第二特集でチュルリョーニスが取り上げられます。

チュルリョーニスのピアノ曲を収録したミニCDも付録についているそうです。

誰の演奏なのかが楽しみです~。ランズベルギスさん演奏の板おこしでしょうか?

9月25日(土)発売です。下記のサイトでも購入できます↓


芸術新潮 2010年 10月号 [雑誌]



感想はまた後日~


*****

チュルリョーニスの生涯や作品について知るには下記書籍がおすすめです。

『チュルリョーニスの時代』(佐藤泰一・村田郁夫訳、ヤングトゥリープレス 2008)[単行本]

リトアニアを象徴する作曲家・画家チュルリョーニスの伝記が発売になりました!
ピアノ曲の楽譜、詳細なディスコグラフィー、音楽作品リスト、参考文献目録も収録!


# by ciurlionis | 2010-09-24 00:14 | | Trackback | Comments(2)

今やロシアの歌曲として知られる「百万本のバラ」"Миллион алых роз" は、元々は、ラトヴィア民謡「マーラが与えた人生」 "Dāvāja Māriņa" という、ラトヴィアのライモンド・パウルスによって作曲され、レオン・ブリディスが作詞を担当した曲でした。

1981年にラトヴィア人歌手アイヤ・クレレにより歌われて知られるようになったのですが、その後ロシアのヴォズネンスキーにより、グルジアの画家ニコ・ピロスマニを題材とした歌詞がつけられ、大歌手アラ・ブガチョワによって歌われ、さらに世の中に知られるようになったそうです。

この度の第一回ラトビア音楽祭でもラトヴィア語の原曲が歌われるようですので、お聴きになってみてはいかがでしょうか?

You Tubeにアイヤ・ククレによりラトヴィア語で歌われている原曲を見つけましたので、下記に載せておきます。



* * *

ロシア語版の「百万本のバラ」のモデルとなったグルジアの画家、ニコ・ピロスマニの描く絵画は独特の作風で魅力的です。私はロンドンで共演したグルジア人ピアニストに教えてもらいました。グルジア人にとってピロスマニとは国を象徴する画家だそうです。リトアニアにおけるチュルリョーニスのようですね。。。

ご興味のおありの方はぜひどうぞ。

グルジアの画家 ニコ・ピロスマニ 1862‐1918(画集)




ラトビア音楽の集い~第一回ラトビア音楽祭~が2010年9月25日(土)13:30より、四谷区民ホールにて開催されます。

詳細は下記演奏会チラシをご確認ください。


これは余談ですが、バルト三国がソヴィエト連邦から独立を回復するきっかけとなった "The Singing Revolution" (歌う革命、歌とともに闘う革命などと言われたりします)のDVDがでています。エストニアで製作されたドキュメントです。ご興味のおありの方はぜひどうぞ。

Singing Revolution [DVD] [Import]





先日、浅草へ行く用事があったのでちょっと辺りを散策して隅田川まで行ってみたら、建設中のスカイツリーが目の前にありました。

ぱっとみたら、現実の世界ではないような不思議な景色ではありませんか?



今朝の朝刊では、中秋の名月と一緒に写るスカイツリーが一面を飾っていました。



オーチャードホールでの演奏会のあと、そのまま階下のBunkamura ザ・ミュージアムへ。



「フランダースの犬」ならぬ「フランダースの光」展。要するに「フランドル地方の絵画展」です。

精緻に描かれた絵画の数々、フランドル地方の光に照らされた木々の優しい緑色が印象的で、以前3度ほど訪れたベネルクス三国の自然や、レンタ・サイクルで走り回った農村の風景を思い出したりしていました。

この展覧会へ来て良かったことのひとつに、大原孫三郎の後援によりヨーロッパへ留学して美術を学び、その後倉敷にある大原美術館の礎となったコレクションを収集した児島虎次郎(1881-1929)の足跡をしることができたことがあげられます。

児島虎次郎は、1908年に大原孫三郎の後援によりパリへ渡り、その後パリ郊外の田舎町グレで創作活動を行いました。1909年には友人の画家太田喜二郎に呼ばれ、ベルギーのゲント美術アカデミー(ヘント)で学ぶことになり、画家のエミール・クラウスに師事しました。1912年4月、児島はゲント美術アカデミーを首席で卒業。ゲント市で開催された展覧会に絵画を出品し、金賞を受賞。同年、校長の紹介で画家のアマン=ジャンとの知遇を得ました。アマン=ジャンには自身の絵画への意見を求めたり、また大原コレクションの第一号となった絵画「髪」を購入したりしています。

今回の展覧会にも、ゲント美術館所蔵の児島虎次郎作《黒い帽子の女》が出品されていました。この作品がゲント市の展覧会で金賞を受賞したものかは定かではないのですが、今でも児島の絵画がゲントの美術館に所蔵されていることを知り、嬉しい気持ちになりました。児島の師エミール・クラウスの作品も出品されていました。もちろん初めて観ました。

倉敷へは今年5月に足を運び、アイビースクエア内で児島本人の絵画も堪能し、また大原美術館では大原氏に協力して集めたという質の高い芸術品の数々を観てきたばかりでしたので、感激もひとしおでした。

渋谷の東急7Fに誕生した大型書店「ジュンク堂x丸善」は、なかなかの品ぞろえでした。長い通路の両脇に分かりやすく本が並べられていて、目的の本をすぐに見つけることができました。通路がまっすぐで長いのでこどもがかけっこしていましたが。。これからは渋谷でも退屈しないで済みそうです。


御年86歳のイギリス人指揮者、サー・ネヴィル・マリナー(Sir Neville Marriner, 1924- )が来日、しかもスウェーデン人クラリネット奏者、マルティン・フロストとモーツァルトのクラリネット協奏曲を共演すると聞いて足を運びました。

プログラムは下記の通り:

メンデルスゾーン / 序曲「フィンガルの洞窟」作品26
モーツァルト / クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
* * *
ブラームス / 交響曲 第2番 ニ長調 作品73

86歳という年齢を全く感じさせない溌剌とした指揮ぶりにただただ魅入ってしまいました。

やはりマリナーのモーツァルトの解釈には確固たるものがあると確信しました。ほんのわずかなニュアンスも見逃さない、決めどころをしっかり押さえたモーツァルトで、かなりの好演。フロストのくせのないピュアな音色による弱音がホールの隅々まで行き渡り、久しぶりに聴く木管楽器のぬくもりのある音色に魅了されました。しばし違う世界へタイムスリップ。夢のようなひとときでした。次回はアカデミー室内管弦楽団の演奏で聴きたいです。

フロストのクラリネットを最後に聴いたのは、2004年9月26日ロンドンのQueen Elizabeth Hallでの、内田光子さんとの共演。そのときフロストは、Anders Hillborgの "Peacock Tales" とFredrik Högbergの "Invisible Duets" を好演しました。突然ステージが真っ暗になり、そこへマスクをしたフロストが登場。楽器を組み立てるところからパフォーマンスを始め、踊りながら演奏していました。そのパフォーマー的なステージが新鮮だったので、今でも良く覚えています。

今回の日本での公演でもフロストの弟がクラリネットとオーケストラのために作曲した「シアワセニナロウ」という曲がアンコールとして演奏されました。それもクラリネットを熟知したフロストらしいパフォーマンスで会場を沸かせていました。

またどこかで聴けたらいいなと思いました。

マリナーが自ら結成したアカデミー室内管弦楽団 (the Academy of St. Martin in the Fields, AMF) が好演したモーツァルトのCDがありますので、ご興味のおありの方はぜひどうぞ。

Symphonies: Complete Mozart Edition 1



映画『アマデウス』のサウンドトラックにはマリナー指揮のアカデミー室内管弦楽団の演奏が採用されているとのことです。


リトアニアが意外にもジャズ大国であることを知ったのは、鈴木正美先生の下記のブックレットを読んでからでした。

このブックレットはロシア・ジャズについて(ソヴィエト時代を含めて)詳しく書かれていて勉強になりました。おすすめです。

ロシア・ジャズ―寒い国の熱い音楽、鈴木正美 (著)、(ユーラシア・ブックレット)



その後、リトアニアへ行くたびにリトアニア人の演奏によるジャズのCDを買ってくるようになり、現在に至っています。

下記の3枚組x2の計6枚のCDを聴くとリトアニア・ジャズの歴史を聴きながら辿ることができます。ブックレットも英訳されていて、半世紀におよぶそのパースペクティヴを詳しく知ることができました。

LITHUANIAN JAZZ 1929-1980 (3CD SECD011)





LITHUANIAN JAZZ 1980-1990 (3CD SECD014)


特に、モツクーナスの師匠、ウラジーミル・チェカシンのサックス演奏が光っています。

日本ではCDの入手が難しいかも知れませんが、ご興味のある方はYou Tubeに公開されている演奏を聴いてみてください。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

アマゾンでリトアニアの国旗柄のマグを見つけました。リトアニア・ファンの方、いかがでしょうか?

Sugar Land (シュガーランド) フラッグマグ LITHUANIA(リトアニア) 11181-3



ジャズ大国リトアニアのサキソフォン奏者リューダス・モツクーナスと宝示戸亮二が、CD発売記念JAPAN TOURを行います。

都内では2010年9月21日(火)に「新宿 PIT INN」でライヴがあります。

リューダス・モツクーナス (Liudas Mockūnas, 1976- ) は8歳よりジャズの演奏を始め、ソ連時代からリトアニア人としてフリー・ジャズを押し広めてきたことでも知られるウラジーミル・チェカシンにサキソフォンを師事し、リトアニア国立音楽・演劇アカデミーで修士号を取得した期待の新星です。リトアニア国立交響楽団にも在籍しクラシック音楽も演奏するマルチ・ジャンルのプレーヤーです。




渋谷のイメージフォーラムでジョナス・メカス監督の映画「ロスト・ロスト・ロスト」が上映されるというので観に行ってきた。

約3時間という長編の日記映画の為なかなか上映されないので、この機会を楽しみにしていた。



1リール約30分の計6リールからなっている176分の映画。

メカスがリトアニア難民としてアメリカに亡命した1949年11月から1963年までの映像の断片をつなぎ合わせたコラージュ。

リール1・2では、ブルックリンに移り住んだリトアニア難民の若き詩人の生活を中心に、リトアニア人移民コミュニティーが新しい土地に適応しようと虚しくも祖国独立のために努力している映像が記録されている。そこからは失望や不安が読みとれ、メカスはブルックリンからマンハッタンへ引っ越す決意をしている。

リール3・4では、マンハッタンで詩人や映像作家たちと交流を始めたころの映像や1950年代末期から60年代初めまでの平和を求めるデモのドキュメント、タイムズスクエアで行われた祈祷、アメリカ軍の空爆に抗議する集会などの映像が記録されている。

リール5・6では、ヴァーモントで撮った一連の《兎の糞の俳句 Rabbit Shit Haikus》という実験的な映像や、ニューヨークのthe Film-Maker's Cooperativeでの映像、ニューヨークを撮った映画Hallelujah the Hillsからの映像、Stony Brookの海辺まで足を延ばした時の映像などが取り上げられている。

映像のなかでメカス本人も言っているように、映像の所々に採用されている哀愁を帯びたショパンの音楽はショパンがパリへ亡命したときのもので、故郷を想うメカスの気持ちを代弁しているかのようだった。

この映画、近くDVD化されると言われているのだが、いつになるのだろうか。

ここのサイトでリール4の映像を見ることができる。

* * * * * *

書籍:メカスの映画日記―ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971



"Jonas Mekas" (洋書・ペーパーバック)



チュルリョーニスに関する英語論文を執筆するにあたって過去に日本語で執筆されたチュルリョーニス関連の記事を読んでいる。

先日、国立国会図書館で日本に初めてチュルリョーニスを紹介した加藤氏の雑誌記事を閲覧しに行き、チュルリョーニスについて色々と調べていたら沼野充義先生がポーラ文化研究所発行の雑誌『IS』に1997年~2000年にわたって連載されていた「レーリッヒとロシア文化の地平」というものが目にとまった。おかげで日本ではあまり知られていない画家・思想家のニコライ・レーリヒ(レーリッヒまたは、リョーリフとも)について多くを知ることができて有意義だった。

レーリヒはストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』の舞台美術で知られるが、ヒマラヤ山岳地帯を題材に数多くの風景画を描いている。チュルリョーニスと同時代人で、風景のなかに底知れない神秘を見出すところが共通しているように思う。

沼野先生の連載では「チュルリョーニス・サリヤン・ピロスマニ」と題した回にチュルリョーニスが登場する。レーリヒと関連づけながら同時代のリトアニア、アルメニア、グルジアの画家が紹介されていて興味深かった。

後日、レーリヒやサリヤンなどの絵画を観たくなってロシア絵画やバレエ・リュス関連の画集を広げてみたら、ロシアの芸術家グループ「芸術世界」«Мир искусства»の創始者のひとり、アレクサンドル・ベヌア(ブノワ)の息子、ニコライ・ベヌア(ブノワ)がチュルリョーニスに影響を受けて描いた絵画が数点載っていた。なかでも下記の "Fantasy in the Spirit of Čiurlionis" という作品はチュルリョーニスが好んだモティーフである宇宙、月、太陽、お城、ピラミッドなどの神話的断片がいくつも散りばめられていて面白い。チュルリョーニスの絵画を知るひとなら、楽しんでもらえるかも知れない。

この絵画は昨年2009年にヴィリニュス・アート・ギャラリーで行われたチュルリョーニス展でも展示されていて現物を観ていたのだが、紹介するのを忘れていたのでこの場で紹介しておくことにした。



チュルリョーニスの時代』(佐藤泰一・村田郁夫訳、ヤングトゥリープレス 2008)

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以前一度このブログでもご紹介した世界的映像作家であるジョナス・メカス氏のウェブサイト、
www.jonasmekas.comでやっていた映像日記"365 Films by Jonas Mekas"のなかの2007年11月12日の映像日記には、リトアニアの元国家元首ヴィータウタス・ランズベルギス氏が登場してチュルリョーニスのピアノ作品を演奏しているのですが、その映像がYou Tubeで公開されていました。



演奏されているのは、

リトアニア民謡のピアノ用編曲より、
Močiute, noriu miego [Mother, I want to sleep], VL281 (1906) 

The last Summer (8曲) より、
III. Prelude in G major, VL338 (1909) 

の2曲で、使用されているピアノはドイツのベヒシュタイン(C.Bechstein) です。

1906年にチュルリョーニスは、リトアニア民謡の重要性を説き、リトアニア民謡の編曲に取り組み、多くの合唱用編曲とピアノ用編曲を作曲しました。

また、2曲目のPrelude in G majorは、チュルリョーニスが1909年「作曲に打ち込んだ最後の夏」に作曲した8曲のうちの1曲です。

やはり、チュルリョーニス研究の第一人者、ランズベルギス氏の弾くチュルリョーニスには特別なものを感じます。その指からは静かに語りかけるような深く思索的な音楽が紡ぎだされる。誰も真似のできないところです。演奏後には「ブラヴォー!」の声が飛んでいます。

わずか5分足らずの映像日記ですが、一見・一聴に値します。おすすめです。


今日は、チュルリョーニスに関する英語論文を書きながらチュルリョーニスの合唱・ピアノ作品の演奏会DVDを観ていた。



内容は、2009年4月28日にブリュッセル王立音楽院でリトアニアEU加盟5周年とリトアニアの国名千年紀を記念して行われた、ヴィリニュス大学合唱団 "Pro musica" とヴィータウタス・ランズベルギス教授のピアノ演奏によるチュルリョーニス合唱・ピアノ作品演奏会の模様を収録したもの。

„Pro musica“. Religious songs.

1. Kyrie
2. Gloria
3. Sanctus

Prof. Vytautas Landsbergis. Piano works.

1. Moment musical in F sharp minor
2. Mazurka in B minor
3. Prelude in B minor
4. Fughetta in B minor
5. Prelude in B minor
9–11. Three traditional Lithuanian folk songs
12. Autumn
13. Prelude on the six-tone row
14. Music for the Whit Sunday
15. Prelude in A major
16. The Willow on the Hill
17. Prelude in D Minor

„Pro musica“. Lithuanian folk songs harmonized by M. K. Čiurlionis

18. Across the Nemunas
19. What the Lad Thought
20. Oh, Forest, Forest
21. Mother Sent Me
22. Dawn is Breaking
23. Oh, Mother

Choral works are conducted by Rasa Gelgotienė and Gediminas Gelgotas.

DVDとCDがセットになっている。

昨年2009年夏にヴィリニュス大学に留学していた時に大学の教会で聴いた演奏会とほぼ同一の内容。教会内に響くチュルリョーニスの合唱・ピアノ作品の音、音、音。耳に焼き付いていて今でも忘れることはない。ランズベルギス氏の弾くチュルリョーニスの生演奏を聴くことができて感慨無量であった。

これはヴィリニュスでたまたま見つけて買ってきたものなのでどこで入手できるかはわからないが、下記のサイトで少しだけ聴くことができる。ご興味があればぜひどうぞ。


"Pro Musica" DVD "M. K. Čiurlionio chorinė ir fortepijoninė kūryba", Briuselis, 2009.


川村記念美術館で今日から開催の「開館20周年記念展 アメリカ抽象絵画の巨匠 バーネット・ニューマン」へ行ってきた。

バーネット・ニューマン (1905-1970) は、ニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人。単色の巨大なカンバスに「ジップ」と呼ばれる垂直線を配する作品で良く知られている。



佐倉駅から美術館のバスにゆられること30分ほどで美術館に到着。途中眼前に広がる田んぼは収穫の時期を迎えていた。5月に訪れた時は青々としていたのに、時が経つのは早いものだ。たまに時間を掛けてのんびりとこの美術館を訪れるのが何よりの楽しみ。都内ほど観客は多くないし、大自然に囲まれた庭園では夏の虫の大合唱も聴くことができて日本の夏を一日で満喫した。今日も35℃を超えた猛暑日だったようだが、不思議と暑さを感じなかった。

今日は14時からニューマン研究の第一人者、イヴ=アラン・ボワ氏(プリンストン高等研究院歴史研究科教授)によるレクチャー「ニューマンにおけるユダヤ性」があったのだ。

14時から2時間の予定だったレクチャーは大幅に時間が延びて終了したのは17時近くだった。。シンプルなニューマン作品をユダヤの精神と関連付けて細部にわたって説明を聴くことができてとても勉強になった反面、ニューマンは本当にここまで深くユダヤ的なるものを自作に盛り込んだのか? と疑問を抱いたりもした。しかし総じてとても充実した実り多きレクチャーだった。

展覧会の方は、少々展示数が少なめで残念に思ったのは否めないが、ニューマンの作品は現存する点数が少ないうえに「高額」と聞いているので、これだけの作品をまとめて見られただけでも幸せと思うことにした。いつものニューマン・ルームではない部屋で《アンナの光》を観て、外光から遮断された天井の高い部屋の方がこの作品には適しているように感じた。このニューマン最大の作品にはその作品を包み込むだけの広大な壁が必要なのだ。また、赤褐色の作品《存在せよ I》と《18の詩篇》の一部からはマーク・ロスコを連想した。同時代の画家同士、影響し合っていたのかも知れない。このふたり、没年まで一緒なのだ。この美術館にはロスコ・ルームがあるので、そちらもぜひ観てみてほしい。

会期は、2010年12月12日(日)まで。9月17日までは「早期来館割引クーポン」が美術館のホームページにてダウンロードできるので、ぜひ訪れてみていただきたい。

展覧会図録も装丁がステキで、見ごたえがありました。おすすめです。


日本のHMV ONLINEでチュルリョーニスのピアノ作品全集のCDが購入できるようになりました!

Celestial Harmoniesより2000年以降に順次リリースされた5枚のCDがボックスセットとしても発売。もちろん1枚ずつでも購入できます。

ご興味のある方はぜひお聴きになってみてください。

1枚目~3枚目は2005年に亡くなったドイツ人ピアニスト、ラフーゼン (Nikolaus Lahusen) の演奏で、4枚目と5枚目はチュルリョーニスのひ孫でリトアニア人ピアニスト、ズボヴァス (Rokas Zbovas) の演奏です。ジャケットには、チュルリョーニスが描いた絵画や撮った写真が採用されています。

詳細は、下記をご覧ください。

チュルリョーニス: ピアノ作品全集 (CD 5枚組 ボックスセット)/ Complete piano works (5 CD BOX SET): Nikolaus Lahusen (CD 1-3), Rokas Zbovas(CD 4,5)



チュルリョーニス/Piano Works Vol.1: Lahusen(P)



チュルリョーニス/Piano Works Vol.2: Lahusen(P)



チュルリョーニス/Piano Works Vol.3: Lahusen(P)



チュルリョーニス/Piano Works Vol.4: Zubovas(P)



チュルリョーニス/Piano Works Vol.5: Zubovas(P)


HMVジャパン CD DVD 音楽 書籍 ゲーム

先日、駐日リトアニア大使館で上映されたリトアニア映画 "Praėjusios dienos atminimui" (In Memory of the Day Passed by / 過ぎた日に) 監督・脚本: シャルーナス・バルタス (Šarūnas Bartas、1990年 40分 モノクロ) のなかでカリヨンを演奏するシーンがあり、その演奏されていた曲に聞き覚えがあったので色々と調べてみました。

昨年夏にリトアニアのヴィリニュスで購入した下記のCD 「カウナスのカリヨン」"KAUNO KARILIONAS/ KAUNAS CARILLON" (JUOSTA RECORDS 2005 JRCD-019) を聴いてみて曲目が判明しました。


男性が演奏していた曲は、ギエドリウス・クプレヴィチュス氏 (Giedrius Kuprevičius) 作曲の "Preliudas M. K. Čiurlionio atminimui(Prelude in Memory of M. K. Čiurlionis)" でした。日本語だと「チュルリョーニスを追悼するプレリュード」とでも言えるでしょうか。

このCDは入手が難しいものですが、先日上映されたリトアニア映画のカリヨンの演奏風景をYou Tubeで観ることができますので、ご興味のある方はぜひどうぞ。

ソ連時代にはカリヨンの鐘までもが没収され、そのうちのほとんどは返還されなかったそうです。その貴重な鐘の音をお聴きください。




リトアニア・ポエティック・ドキュメンタリー映画上映会「リトアニア映画の夏」の第3回を観にリトアニア大使館へ伺いました。

拝見したのは、下記の2本。

1.Praėjusios dienos atminimui (In Memory of the Day Passed by / 過ぎた日に)
監督・脚本: シャルーナス・バルタス (Šarūnas Bartas)、1990年 40分 モノクロ



2. Dienoraštis (Diary/ 日記)
  監督・脚本: オクサナ・ブラヤ (Oksana Buraja)、2003年 24分 カラー


一本目の映画で観られた古きリトアニアの風景とカリヨンの演奏風景が特に印象的でした。

リトアニアのカリヨンはカウナスとクライペダにしかないので、恐らくカウナスのものだと思われるのですが、その演奏された曲に聞き覚えがあるので後日調べてみたいと思います。


六本木方面に用事があったので、マン・レイ展にも立ち寄ってみた。



マン・レイの写真のセンスには特別なものを感じた。写真の域を脱しており、まさに芸術作品としての写真を提示された気がした。

2008年にロンドンのテート・モダンで「デュシャン、マン・レイ、ピカビア展」を観ていて、こちらもその時の印象が強烈だったので、今回のマン・レイ展は代表作が少なくて残念な印象が残った。ロンドンの展覧会の一部をHPで観られるのでご興味があればご覧ください。(部屋番号をクリックすると作品が観られます。)
Tate Modern| Past Exhibitions | Duchamp, Man Ray, Picabia

音楽好きなので、マン・レイが撮ったストラヴィンスキーやサティの写真があって嬉しかった。マン・レイの撮ったポートレートはどれも被写体の本質を鮮やかに捉えているのが素晴らしいと思う。

会期は2010年9月13日(月)まで。

先日、友人が下記の書籍を勧めてくれた。ダダに興味のある方はぜひどうぞ。

ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集 (光文社古典新訳文庫)



また、2008年にロンドンのテート・モダンで行われた展覧会の図録は下記のようなものでした。なかなか充実した内容で見ごたえがあります。
Duchamp, Man Ray, Picabia




遅ればせながら8月13日の出来事を書いている。

帰国してまだ二日、時差ぼけで頭がぐるぐるしている。

16時に麻布で約束があるので、その前にどこか展覧会へ行こうと思い立って上野の東京藝術大学大学美術館へ。

そこで「ポンピドー・センター所蔵作品展 シャガール──ロシア・アヴァンギャルドとの出会い~交錯する夢と前衛~」というものを観てきた。



ポンピドゥー・センターの所蔵するシャガールはこんなものだったか? 以前訪れたフランスのニースにあるシャガール美術館での記憶が交錯しているのかも知れないが、フランスでのシャガール体験はもっと強烈だったと記憶していたので、今回の展覧会はシャガールに関しては期待以下のものだった。そんななかでも《ロシアとロバとその他のものに》と《立体派の風景》には目を見張るものがあり、じっくりと鑑賞したのは言うまでもないが。

とりわけ自分が足を運んで良かったと思ったことのひとつに、ゴンチャローヴァ(ゴンチャローワ)の《収穫物を運ぶ女たち》(連作「葡萄の収穫」9面のうちの1面)をみられたこと、またラリオーノフの《タトリンの肖像》を観られたことが挙げられる。

ゴンチャローヴァの単純な構図のなかに観られるあふれるような躍動感が印象的。このような作品はなかなか描けるものではないし、日本で観る機会などそうあることではないので、観ることができただけでも有り難かった。

リトアニア出身のリプシッツの彫刻《ギターを持つ船乗り》もあって嬉しかった。

会期は、2010年10月11日(祝)まで。


朝10時にエグレさんがホテルまで迎えに来てくださった。ヴィリニュス空港までは車で10分ほど。

彼女はスーツケースを持つなり「25kgはありそうね~」とおっしゃった。空港の入り口でエグレさんにお礼を述べ、再会を誓ってお別れした。

重いスーツケースを引きずりカウンターへ。まぁ、ここまでくると超過料金を取られても仕方ないか?と思っていたが、カウンターで搭乗手続きを済ませると「5kg多いから手荷物に移動して」と言われ、持参していた麻袋に超過の5kg分を移動。移動するだけで超過料金を取られずに済んだ。内心ほっとした。

11:45の70人乗りくらいの飛行機でヘルシンキへ。さすがにプロペラ機ではなかった。以前は小さいサンドイッチが出たような気がするのだが、今回は行きも帰りも短距離路線は飲み物のみ。経費削減なのだろうか?

ヘルシンキ空港で3時間ほど待ち時間があったのだが、昼食をとったり無料のWifiでi pod touchでネットサーフィンをしていたらあっという間に搭乗の時間に。

機内でも同年代の男性と隣り合わせになったので話がはずみ退屈せずに済んだ。彼は社員旅行でスウェーデンを旅行されてきたとのことだった。

フィンランド航空は悪くないのだが、食事に工夫がないし、他の航空会社にあるようなアイマスクやスリッパや歯ブラシのサービスもない。まぁ、きっとその分航空券が安くなっているのだろう。

しかし9時間ちょっとで成田まで帰れるのだから有り難い。

8月11日の朝に成田に到着すると身体にまとわりつくように暑さが襲ってきた。。。

そうだ、これが日本の夏の暑さだ!



いよいよ今回のリトアニア旅行も終わりに近づいてきた。

朝からヴィリニュス大学裏のピリエス通りのマーケットを歩く。そこでソヴィエト時代のメダルやら切手やら絵葉書を売っているアンターナスというおじさんからチュルリョーニスのメダルとピンと切手と絵葉書と本を購入する。

その足で先日購入した物たちを預かって戴いていた塩谷さん宅へ伺い、塩谷さんに手伝って戴きながら箱に詰めて郵便局まで運び、郵送。。。自分ひとりではできないことなので大変助かった。。

そうこうしているうちにお昼の時間になったので、塩谷さんのご友人の木原さんという女性と3人でピリエス通りのリトアニア料理のお店へ。

ロンドン在住の木原さんはご旅行でリトアニアへいらしていた。リトアニアの魔女の研究をされているとか。とても興味深く思いました。私はピンクのビーツの冷製スープ、シャルティ・バルシチェイ(šaltibarščiai)もオーダー。今回の旅の食べ納めをした。



3人でリトアニア料理をつついていたら、私は音楽家支援基金を訪問する時間になってしまったので、また夕方に合流する約束をして一時退散。

音楽家支援基金の建物に到着するとみなさん笑顔とハグで迎えてくださった。

コーヒーとお菓子をごちそうになりながら旅の報告をし、音楽家支援基金についてのお話しを伺った。また今日のリトアニアの新聞 "Rytas" に私に関する記事が載っているとコピーまで頂戴した。そういえば学会の日にインタヴューを受けていたのだ。

帰り掛けにリトアニアの特産物であるリトアニア・リネンでできたテーブルクロスやパンを入れるかごを頂戴し、この度のご招待のお礼と「また来年の夏にお会いしましょう」と述べて失礼してきた。

ゲディミノ大通りで本屋と新聞社に立ち寄った後、昨年チュルリョーニスに関する本をたくさん購入した古本屋さんに行ってみたら、先週は夏休みで閉まっていた本屋がなんと開いている。なかに入ると店長のおじさんは私のことを覚えていてくださって、新たなる本やLPを色々と見せてくださった。そのなかにランズベルギス氏が1965年に出した処女作『春のソナタ』があったので購入。この本を読みたいという気持ちがさらなるリトアニア語勉強のためのモチベーションとなったことは言うまでもない。リトアニア語が読めなければこの本もただの紙切れ。「頑張って勉強して読めるようになろう!」とそのとき誓ったのでありました。。。

夕方に再び塩谷さん宅を訪問して木原さんとともに夕ご飯をごちそうになった。また近いうちにどこかでお会いしましょうと約束してお別れしてきた。

ヴィリニュス最後の夕日はまるでチュルリョーニスの絵画のような色をしていた。


ホテルへ戻り、音楽家支援基金の方から頼まれた音楽学会参加者への寄せ書きの宿題を済ませ、スーツケースのなかを整えて就寝。。。


プルンゲのホテル・ベルジャスは学生寮のような建物だったがしっかりとした朝食が出たので有り難かった。町の中心にあるホテルを後にし、駅の横にあるバスターミナルまで歩く。徒歩10分ほど。


10:30発のヴィリニュス行きの高速バスに乗る。30人乗りくらいの中型バスだ。5人ほどが乗りこみいざ出発。30分ほどでまずはリエターヴァスの町に到着。さらに乗客を乗せて2時間半ほど走りカウナスへ。10分くらい休憩があった後、14:50くらいにはヴィリニュスに到着した。4時間20分のバスの旅。車窓からリトアニアの大自然をながめていたらあっという間だった。

ホテルで荷物を降ろし、そのままVasaros Terasaの古本を売っている女性のところへ。マーケットは閉まりかけていたが女性は待っていてくださった。

先週彼女からチュルリョーニスの画集を購入した際に、私が探している1880年出版のある本をつい最近手に入れたと言っていたので、再度出向いて購入したのだ。外国人価格で少々高額ではあったが仕方があるまい。。

そこで友人たちと合流。アンディーさん経営のWOO BARで軽食を採ったあと、イーヴァさんとエレナさんが親切にも「チュルリョーニス美術学校の中庭にチュルリョーニスの像があるから連れて行ってあげる」と言うので、一緒に歩いていくことに。ゲディミナス通りのサンデー・マーケットを見ながら20分近く歩いた。

確かに結構大きいチュルリョーニスの胸像があった! これは知らなかったな~。チュルリョーニス美術学校は、ダンスにも力を入れているらしくピアノの音が聴こえていたし、ダンス・シアターもあった。


ホテルに戻ったらエグレさんが私のスーツケースをフロントへドロップしておいてくださった。お蔭さまで身軽な旅ができてとても助かった。

近くのスーパーでブラックカラントらしきベリーを買ってきて食べた。翌朝ホテルの窓から見えたヴィリニュスの朝日が美しかった。





朝10時に博物館のダヌーテさんとホテルの前で待ち合わせ。そのまま徒歩で町の教会へ。


その教会のすぐ手前に新婚のチュルリョーニスとキマンタイテが約2年間過ごした家があった。現在は一般の方が住んでおられるそうです。


彼は町を火の手から守っているフロリヨナス神だそう。


図書館の前には独立期を象徴する自由の女神像が。


川を渡っていよいよオギンスキス(オギンスキ)公の宮殿へ。


チュルリョーニスはミコラス・オギンスキス公の主治医マルケヴィチュスに音楽の才能を見いだされ、彼の勧めでオギンスキス公の音楽学校へ入学することになる。チュルリョーニスは1889年~1893年までの4年間、ここで音楽の基礎を学び絵画を描き合唱団で歌い管弦楽団ではフルートを担当していた。オギンスキス公の孫ミコラスもチュルリョーニスの才能を認め、ワルシャワ音楽院とライプチヒ音楽院留学のための奨学金を支給した。

宮殿は残念ながら改修中だったが、内部はŽemaičių dailės muziejus(サモギティア民俗博物館とでも言おうか)になっていてリトアニアの現代アートやキリストの像などを観ることができた。

しばらく庭園を散策。ピンク色の睡蓮が咲いていた。


この辺りでチュルリョーニスも団員として活躍した管弦楽団が演奏していたという。。


庭の片隅にチュルリョーニスを記念した塔が立っていた。塔に刻まれた1888年は間違いで1889年~1893年が正しいそうだ。


ここが宮殿の門、くまが迎えてくれる。


町の中心へ戻りダヌーテさんと昼食を採ったのち、今度は近郊の町Rietavas(リャターヴァス、リエターヴァス)まで行くためバスターミナルへ送っていただいた。

ダヌーテさんがリエターヴァスにあるオギンスキス歴史博物館の館長へ連絡をしておいてくださり、私が博物館へ着くと館長は英語のできる近くに住む女性を呼んでくださっていた。


博物館へ入るとその廊下には日本人写真家小沢俊哉氏の写真がずらり。なんと2007年?にカウナスやリエターヴァスでの巡回写真展が行われたとのこと。ここで日本人の写真を拝見するとは思わなかった。

館長が親切にリエターヴァスの歴史を説明してくださり、またミコラス・オギンスキスが作曲した作品を聴かせてくださった。そして最後にそのCDをくださったので、博物館のDVDを購入。

チュルリョーニスはオギンスキス公の管弦楽団のフルート奏者としてたびたびリエターヴァスを訪れていたそうだ。

ここの町は昔リトアニアの最先端を行っていて、ベルが電話を発明して間もなくリトアニアで初めての電話回線が引かれ、教会には電気が通ったらしい。

館長も通訳の女性ルータさんもとても親切な方で帰りはバスターミナルまで送ってくださり、バスの時間までギラとアイスクリームをごちそうしてくださった。そしてバスの運転手さんに「彼女をホテルまで送ってあげて!」とお願いまでしてくださりとても有り難かった。「来年にはこの町の公園も整備されてきれいになるからまた来年いらっしゃい」とおっしゃっていた。

リトアニアの人々は本当に親切で誠実でここに住みたくなってしまうほどだった。

ここで受けた親切は一生忘れないだろう。

ホテルへ無事戻り、明日のヴィリニュス行きの方法を模索する。こんな田舎町の学生寮のようなホテルなのにWifiが使えたので助かった。ipod touchでバスの時間を検索する。電車で帰るとある約束の時間に間に合わないので、バスで戻ることにした。幸い日曜日は高速直通バスが走っているのだ。

夜中に雷鳴が轟き雹が降った。ホテルの天井が崩れてきやしないか心配になるほどだった。。。



エグレさんにヴィリニュスまでスーツケースを運んでもらう約束をして、私はリュックサックを背負って一路プルンゲを目指すことに。8:40のバスでまずは経由地のカウナスへ。

2時間半ほどでカウナスに到着。プルンゲ行きのバスの時間まで2時間近く時間があったので、杉原千畝記念館を訪れてみた。3年前に訪れた時は改装中だったのだが改装が終わって彼の軌跡を描いた素敵なパネルが完成していた。そのせいもあってか入館料を徴収するようになっていた。10リタスなり。


私のすぐ後に、日本人女性が入って来られた。ご旅行で初めてリトアニアへいらしたのだという。

ヴィデオを拝見し、その後展示パネルなどを見て回った。そうこうしている間に時間がどんどん過ぎて行き、友だちとの約束の時間になってしまった。

急いで待ち合わせ場所の大聖堂まで走って行き、一緒にランチをしてまたバスターミナルまで戻った。その友だちがプルンゲ行きのバスに乗せてくれた。バタバタしてしまい申し訳なかった。

さらにバスに乗ること3時間半ほどでプルンゲへ到着。バスターミナルで地元の学校の先生と博物館の通訳さんが待っていてくださった。

まずは町に2件しかないホテルのうちのひとつ、ホテル・ベルジャスへ行き荷物を降ろし、その足でチュルリョーニスとキマンタイテが結婚式を挙げたという近郊の町シャテイケイにある教会へ行くことに。

とうとうここまで来てしまった! 長年の夢だったので感慨無量だった。

1909年1月14日(旧暦の1月1日)にチュルリョーニスとキマンタイテはこの教会で結婚式を挙げた。その当時、プルンゲの教会は木造のもので、しかもキマンタイテの苦手とする彼女の叔父が神父を務めていたため、キマンタイテの希望で石造りのシャテイケイの教会で式をあげることになったのだという。


礼拝が毎日夜7時から行われるというので、それまで近くの民家でお茶としぼりたての牛乳をごちそうになった。隣の家で牛が「も~も~」言いながらひかれてくるのが見えていたのだが、ごちそうになった牛乳はその牛さんから採られたものだという。大自然のなかで飲む搾りたての牛乳の味は格別だった。



礼拝の時間になったので再び教会へ。少しだけ礼拝に出席し、隣接する墓地を散策した。



礼拝終了後、親切にも司祭さんが塔へと続く扉の鍵を開けてくださったので塔へと登り、ティルシェイの町の教会の塔を望むことができた。


運転手さんと通訳の女性に感謝の気持ちを伝えてホテルまで送っていただいた。
本当に充実した一日だった。


朝一番で郵便局へ行き、昨日頂戴した本やら贈り物を郵送。ドルスキニンカイから日本まできちんと届くか不安でしたがとても持って帰れる重さではないため仕方なく。

11時にチュルリョーニス記念博物館前に集合して、学会参加者で近くの村へ遠足。

まずはベラルーシとの国境近くのシュヴェンドゥブレという村へ。ここはチュルリョーニスが「ライガルダス谷」という絵画を描いた場所としても有名。

チュルリョーニスが100年前に描いたそのままの風景が未だ残っていて少々驚きました。

目に優しい緑と涼しげな沼が点在する大自然に囲まれた贅沢な場所でした。未だこのような自然が地球上に存在するなんて少々信じられないほどでした。


ネムナス川のほとりへ移動し、付近を散策。ユラーテ・ランズベルギーテさんが終始英語で通訳をしてくださって助かりました。


その後、近くの教会にある彫刻家の墓を訪れたり、木彫作品をひとりで製作している巨匠アンターナス・チェスヌリス氏の公園にも立ち寄って自然を満喫しました。




少々忙しいスケジュールだったらしく、お昼の時間が決まっているので戻りますとのこと。
いつものレストランで急いで昼食を採り今度は森の博物館へ。


民族衣装を纏った地元の方々が私たちを待っていてくださった。

リトアニアの民族音楽と踊りを鑑賞し、その後リトアニアのリキュールやチーズ、お菓子などをごちそうになりました。

そして今夜も市立博物館へ演奏会を聴きに行きました。チュルリョーニスのピアノ・ソナタ、四手連弾用即興曲、シューマン、ライネッケ、ブラームスの作品などが演奏され、ドルスキニンカイ最後の夜を楽しみました。


みなさまに「またどこかでお会いしましょう」と再会を誓ってホテルへ戻りました。


朝9時からドルスキニンカイ市長を訪問。ここ数年でドルスキニンカイの町を再生させた実力者とのこと。恰幅の良い立派な方でした。

40分ほど滞在した後、昨日と同じ学会の会場へ。

今日も15人ほどが発表。みなさん熱の入った発表のためもっぱら時間オーバー。

遅めの昼食を採り、2時間ほど遅れて午後の部がスタート。コーヒーブレイクには、リトアニアの新聞社 "Rytas" の取材を受けたりもしました。(8月9日の新聞に記事が掲載されました)

私の発表はしんがりでした。論題は「日本におけるチュルリョーニス」。わが国にチュルリョーニスの芸術がどのように伝わり、広まったかを年代順に追った内容です。パワーポイントもきちんと動き、時間通りに終えられて安心しました。みなさん遠い異国の地でチュルリョーニスがどのように受容されたか、その歴史にご興味を持たれたらしく、真剣にご静聴くださいました。最後には大きな拍手も。とても有り難かったです。

ヴィリニュスのチュルリョーニスの館館長から出版したばかりのチュルリョーニスの本と薔薇の花を頂戴し、感慨無量でした。はるばる日本からやってきて本当に良かったと思えた瞬間でした。


またドルスキニンカイのチュルリョーニス記念博物館の館長を33年も務めたネゼルスキス氏から重要な歴史的事実を伝えられました。1967年のオデッサでの出来事を知る数少ない人物なのです。

今夜もまた湖のほとりの市立博物館で演奏会が催されました。オスヴァルダス・バラカウスカス氏の作品を中心に、ジュリアード音楽院で研鑽を積んだという双子のプロジウカス兄弟(ピアノとヴァイオリン)による演奏や、室内アンサンブル、ヴィリニュス・アーセナルによるかなり質の高い演奏を聴くことができました。




朝10時から音楽学会「チュルリョーニスと世界」の開会式がチュルリョーニス記念博物館の中庭で行われました。


開会を記念してチュルリョーニスやショパンの作品が演奏されました。大きく開かれた窓の奥でピアノのソロやヴァイオリンとのデュオが演奏され、また歌手の女性だけは屋外へ出てきて唄ってくださいました。


開会式のあと、コーヒー・ブレイクを挟んで学会が始まりました。会場は銀行の会議室。昨年の夏にお会いしたランズベルギス氏のお嬢さまユラーテさんやクチンスカス教授も会場にいらっしゃいました。クチンスカス氏は親切にも私の隣に座って終始英語で通訳をしてくださっていました。

一日目は15人ほどが発表。特にあこがれだったブルーヴェリス教授の講演を聴くことができて何よりも嬉しかったです。

ランチは教会横のレストランまでみんなで移動。地元のおじさんたちと同席になり、日本人の私はよほどめずらしいのか、終始話しかけられっぱなしでした。。。

夜にはSPA Vilnius SANAの建物でČiurlionis Quartetの演奏会がありました。


チュルリョーニス・カルテットの弾く「生チュルリョーニス」を聴くことができて最高に幸せでした。きっと世界で一番のチュルリョーニスの弦楽四重奏でしょう。


今日はいよいよドルスキニンカイへ移動する日。

午後の約束の時間まで旧市街を歩いていたら、演劇と音楽と映画の博物館の隣にピンク好きにはたまらないPink Milk Shake Barというお店ができていた。去年はなかったのできっと新しいに違いない。さっそくラズベリー・シェイクをオーダーし、飲めるピンク色を堪能した。


外国人経営の日本食レストランOSAKAでまずい寿司を食べてから、音楽家支援基金の方と待ち合わせたホテルまで戻った。

音楽家支援基金のエグレさんは流暢な英語を話す素敵な女性。彼女の運転する車に乗せてもらい2時間ほどでベラルーシとの国境近くのリゾート地、ドルスキニンカイに到着。

この町を訪れるのは昨年に続き二度目。昨年はチュルリョーニス記念館を見てすぐにヴィリニュスへ戻ってしまったので、今回は暗くなるまでゆっくりと町のなかを歩き回った。

町の中心にあるドルスコニス湖のほとりでのんびりし、ネムナス川の方まで行ってみた。



立派な市立博物館もある。会期中にここで演奏会が催された。


町の中心にある赤レンガのスカプラリオの聖母マリア教会 (Švč. Mergelės Marijos Skaplierinės Bažnyčia) 。1844年に建てられたもの。


チュルリョーニスが芸術活動に励んだ町でもあるので、町のいたるところにチュルリョーニスにちなんだ彫刻があった。



最後にネムナス川のほとりまでたどり着いたらそこはアスレチックになっていて、子供たちが川幅が50メートルはあろうネムナス川の向こう側からワイヤーを伝ってこちら側へぶら下がりながら渡ってくる遊びをしていた。ワイルドな遊びに少々おどろいた。下記の写真を良く見ると真ん中に女の子がぶら下がっているのが見える。。



今日は日曜日なので基本的に美術館などはお休み。

なので朝からまずは聖ペテロ・パウロ教会(Šv. apaštalų Petro ir Povilo bažnyčia)を目指すことに。

教会へ到着すると後ろから司祭さんたちの列が。日曜日の礼拝が始ってしまったので、そのまま出席。



とてもよい天気なので十字架の丘へ登ることにした。ここからヴィリニュスの街が一望できるのだ。



坂を下る途中、青くてめずらしい花を発見。蜂が戯れていたので一緒に撮ってみた。


Vasaros Terasaで行われている日曜マーケットへ行き、メロディヤのLPやチュルリョーニスのドイツ語の画集を購入。スコールが降った。


日曜日なので開いているかも知れないと思い、聖アンナ教会(Šv. Onos bažnyčia)へ。ガイドブックによればナポレオンがヴィリニュスを訪れた際に「持って帰りたい」と言ったとされるほど美しい教会。たくさんの観光客でにぎわっていた。