大田黒元雄が愛用し、1918年に来日したプロコフィエフも弾いたとされる1900年製のスタインウェイのグランドピアノが修復され復活し、再び音を取り戻すことができた。

その点で意義深い演奏会だったと思う。

実際に音を聴いた感想は、「木箱が純粋に響いていた」という感じ。

以下、備忘録。

2010年9月24日(金)
19:00~
浜離宮朝日ホール
出演/根岸一郎(バリトン)*、釜洞祐子(ソプラノ)**
曲目/
ドビュッシー:
アラベスク 第一番・第二番
夢、マズルカ、ロマンティックな円舞曲
カノープ、亜麻色の髪の乙女、沈める寺
月の光
亜麻色の髪の乙女
菅原明朗:
ピアノ組曲「断章」より Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ
ピアノ組曲「白鳳の歌」より 第一曲「﨟纈」
ドビュッシー:
人形のセレナード
(休憩)
菅原明朗:
韓藍花、過近荒都詩、無題、田舎歌、白い姉の歌、丘の上*
ドビュッシー:
ロマンス*
堀内敬三訳詞歌曲:
御身を愛す(ベートーヴェン)、母の教え給いし歌(ドヴォジャーク)、スペインのセレナーデ(ビゼー)、メドレー「青空」「アラビヤの唄」「蒲田行進曲」、ホフマンの舟唄(オッフェンバック)、インドの歌(リムスキー=コルサコフ)、別れの曲(ショパン)**
ビゼー:
「カルメン」より セギディーリャ**
(アンコール)
レハール: 「メリー・ウィドウ」の二重唱* **
フリース: 「モーツァルトの子守唄」* **


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ピアニストで文筆家の青柳いづみこ氏が中心となって募金を募り、先日修復が完了した大田黒元雄氏が昔愛用していたピアノ(1900年製スタインウェイ)を使用した演奏会が9月に浜離宮朝日ホールで催されます。

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2008年5月にロンドンのプロコフィエフ財団の研究誌 "Three Oranges, Number 15" のために1918年夏にプロコフィエフが2か月間日本に滞在した際の大田黒元雄氏との交流エピソードを英語論文 "Motoo Ohtaguro and Serge Prokofiev: an unexpected friendship" (ISSN: 1472-9946) にまとめ発表したことがきっかけで大田黒氏について興味を持ち、実際に大田黒公園へ足を運んだりもしたのですが、このピアノ、もしかしたらプロコフィエフが大田黒家を訪問したときに弾いたピアノかもしれないのです!

今回はプロコフィエフの作品は演奏されませんが、大田黒元雄氏が仲間を集めて月一回行っていたサロン・コンサートで紹介されていたドビュッシーのピアノ曲や菅原明朗氏のピアノ組曲や歌曲、堀内敬三氏の訳詞による歌曲などが演奏されます。

青柳いづみこ氏の弾くドビュッシーはさすが研究者による演奏だけあって奥の深さを感じさせますのでぜひ演奏会へも足をお運びになって頂きたいと思います。

*     *     *     *     *     *

今聴いているのは青柳いづみこ氏の弾く「水の音楽」(KICC-363) というCD。同タイトルの書籍『水の音楽~オンディーヌとメリザンド~』(みすず書房) とともに、「文字と音の両方」でその魅力を語っています。

水辺の情景を想起させるソフトで心地よいピアノ曲の数々。おすすめです。

CD水の音楽~オンディーヌとメリザンド

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書籍『水の音楽―オンディーヌとメリザンド』

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最近、中央線沿いの駅に行く用事が多いので、今日は以前から気になっていた荻窪にある「大田黒公園」に立ち寄ってみました。

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大田黒公園は、音楽評論家であった故・大田黒元雄氏(1983-1979)の屋敷跡を杉並区が日本庭園として整備し、昭和56年に開園したもので、大田黒氏は昭和7年から54年に86歳で逝去されるまで47年にわたってこちらに住まわれていたそうです。お庭には大きな池があってたくさんの鯉が涼しげに泳いでいました。

その公園のなかに大田黒氏が仕事場として使用していた、今は「記念館」となっている建物があり、そのなかに彼が愛用していたグランド・ピアノや蓄音機などが遺されています。

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なぜ私が大田黒公園のグランドピアノにこだわっているのかというと、昨年下記の論文のために大田黒の文献を読んでこのグランドピアノがプロコフィエフも弾いた可能性があるのを知ったからでした。大田黒元雄氏は1918年の夏に2ヶ月ほど日本に滞在していたプロコフィエフと知り合いになり、プロコフィエフは、当時大森にあった大田黒宅を何度も訪れ、ピアノを弾いてみせているのです。そして、そのピアノが今は大田黒公園に遺されているこのピアノで、プロコフィエフも弾いたことのあるピアノではないか?と思われます。

しかし、そのグランドピアノは1900年に製作されたスタインウェイ社のピアノで、近年老朽化が進み、大がかりなメンテナンスが必要となっています。そこで、この激動の一世紀を無事に生き抜いたグランドピアノを蘇らせるべく、昨年より「大田黒公園のピアノを守る会」というものが発足していて、募金活動が行われています。私もささやかながら募金をしてきました。募金をすると大田黒記念館やグランドピアノを描いたポストカードがもれなくいただけます。

明治26年(1893年)に生まれた大田黒元雄氏は、音楽愛好家、音楽評論家として常に最先端を行っていた存在でした。1913年に19歳でロンドン大学に留学した彼は、表向きは経済学を学びに行っていたのですが、毎晩のようにロンドンの街で行われているオペラ、バレエ、クラシックコンサートに積極的に足を運んでいて、その様子を詳細に日記に遺しています。

今ではごく一部の場所でしか閲覧できなくなってしまった生前彼が書き遺した日記を読んでみると、彼は、ロンドン滞在時にバレエ・リュス(セルゲイ・ディアギレフが主宰したロシア・バレエ団で今年2009年がちょうど結成100周年にあたる)の一連のバレエを鑑賞しているのですが、大田黒と同日ではないものの、同じシーズンの同じバレエをロンドンを訪れたプロコフィエフも観ていたのでした。1918年の夏にプロコフィエフが日本に滞在していた折も、大田黒とプロコフィエフがバレエ・リュスの話で意気投合したに違いありません。プロコフィエフの日記を読むと、大田黒がロシア音楽に詳しく、自分の音楽のこともすでに知っていたのでとても驚いています。また、実際にプロコフィエフが大田黒宅を訪れた日々のことも、大田黒氏の日記で詳しく知ることができます。

近年ロシア語、フランス語、英語でプロコフィエフの日記や研究書が次々に出版され、プロコフィエフに関する新事実が明らかになっていくなかで、この「プロコフィエフの日本滞在」の部分には残念ながら多くの間違えが見受けられていました。

しかし、昨年2008年5月に英国のプロコフィエフ財団から発行されている研究誌Three Oranges Journal, number 15の特集が"Prokofiev in Japan"というもので、私もこの号に論文を寄稿させて頂いたので、プロコフィエフが来日した当時の日本のクラシック音楽受容の状況や、プロコフィエフ財団に残っているプロコフィエフの日記や手紙、そして日本に残っている大田黒の日記を参照して、「英語で読める唯一の大田黒とプロコフィエフの交友記」として発表しました。これで少しでも誤認事実を正すことができたら幸いと思って新事実をたくさん盛り込みました。

この論文をまとめるにあたって、大田黒元雄氏が執筆された文献や、雑誌での対談などに目を通しましたが、驚かされたことは、大田黒氏が当時の日本のクラシック界では常に最先端を行っていたということでした。ロンドンやアメリカでクラシック音楽書が発売されるとそれを丸善を通じていち早く入手し、積極的に日本語に翻訳して出版したり、同時に楽譜やレコードも輸入して、蓄音機で音楽会を開いたり、ピアノの夕べと名付けられた演奏会まで自宅で開いていて、その音楽のほとんどが「日本初演」であったのでした。

大田黒氏について研究してみて、今現在、彼の日記や翻訳書にアクセスしにくくなっている現状を知り、とても残念に思うのと同時に、もっと評価されてしかるべき方であると思いました。

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by ciurlionis | 2009-03-28 23:59 | その他