没後400年 特別展「長谷川等伯」 東京国立博物館 上野


今年没後400年記念を迎えた絵師長谷川等伯の特別展を観に上野の東京国立博物館まで足を運びました。

金曜日は20時まで開館しているので忙しい方には便利かも知れません。

長谷川等伯 (1539-1610) は、石川県能登七尾生まれの絵師で、あの狩野永徳をも脅かしたことのある実力の持ち主。豊臣秀吉や千利休らに重用されたこともあったそうです。

等伯は30歳くらいまでは信春(のぶはる)と名乗り、日蓮宗寺院に関わる仏画を描いていました。その頃の代表作では、「三十番神図」や「日堯上人像」(共に重要文化財)などが展示されていました。

30代で京都へ上洛しますが、その後の活動の記録が途絶えます。京都での消息が再び現れるのは等伯51歳の時のこと。豊臣秀吉の茶頭であった千利休が大徳寺三門の増築部分を寄進し、その金毛閣の天井と柱の装飾画を依頼されたのでした。その後、祥雲寺(しょううんじ)(現智積院)の障壁画制作に携わる幸運を得ました。その頃の等伯の代表作として「山水図襖」(重要文化財)や「楓図壁貼付」や「松に秋草図屏風」(共に国宝)がありました。
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そして圧巻だったのが1599年、等伯61歳のときに制作された大涅槃図(仏涅槃図)高さが10メートルくらいある大作です。これは必見もの。なにしろ大きい絵です!
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等伯は、よき理解者であった日通上人に強く信頼をよせ、この画を寄進しました。その後も本法寺には多くのものを寄進し、本法寺の大檀越(だいだんおつ)として、単なる絵師ではなく、町衆として京都における有力者となり活躍したそうです。

等伯が71歳になった頃には、豊臣の時代から徳川家康のものとなろうとしていました。新たなパトロンを獲得するために次男の宗宅(そうたく) を伴って江戸へ下向するも、等伯は途中で病をえて、江戸到着後、2日目に72歳で亡くなりました。

最後に、六曲一双の「松林図屏風」が展示されていました。この作品は制作年が不明ではあるものの、この画の筆遣いの精妙さに息をのんでしまいました。自分もその霞に包まれた松林にいるかのような感覚になりました。

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こんなにもたくさんの等伯の作品を観られる機会は今後ないかもしれないので、可能なら会期中にもう一度足を運びたいと思います。

長谷川等伯―桃山画壇の変革者 (別冊太陽 日本のこころ 166)

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by ciurlionis | 2010-02-26 23:59 | 美術