朝10時に博物館のダヌーテさんとホテルの前で待ち合わせ。そのまま徒歩で町の教会へ。
その教会のすぐ手前に新婚のチュルリョーニスとキマンタイテが約2年間過ごした家があった。現在は一般の方が住んでおられるそうです。
彼は町を火の手から守っているフロリヨナス神だそう。
図書館の前には独立期を象徴する自由の女神像が。
川を渡っていよいよオギンスキス(オギンスキ)公の宮殿へ。
チュルリョーニスはミコラス・オギンスキス公の主治医マルケヴィチュスに音楽の才能を見いだされ、彼の勧めでオギンスキス公の音楽学校へ入学することになる。チュルリョーニスは1889年~1893年までの4年間、ここで音楽の基礎を学び絵画を描き合唱団で歌い管弦楽団ではフルートを担当していた。オギンスキス公の孫ミコラスもチュルリョーニスの才能を認め、ワルシャワ音楽院とライプチヒ音楽院留学のための奨学金を支給した。
宮殿は残念ながら改修中だったが、内部はŽemaičių dailės muziejus(サモギティア民俗博物館とでも言おうか)になっていてリトアニアの現代アートやキリストの像などを観ることができた。
しばらく庭園を散策。ピンク色の睡蓮が咲いていた。
この辺りでチュルリョーニスも団員として活躍した管弦楽団が演奏していたという。。
庭の片隅にチュルリョーニスを記念した塔が立っていた。塔に刻まれた1888年は間違いで1889年~1893年が正しいそうだ。
ここが宮殿の門、くまが迎えてくれる。
町の中心へ戻りダヌーテさんと昼食を採ったのち、今度は近郊の町Rietavas(リャターヴァス、リエターヴァス)まで行くためバスターミナルへ送っていただいた。
ダヌーテさんがリエターヴァスにあるオギンスキス歴史博物館の館長へ連絡をしておいてくださり、私が博物館へ着くと館長は英語のできる近くに住む女性を呼んでくださっていた。
博物館へ入るとその廊下には日本人写真家小沢俊哉氏の写真がずらり。なんと2007年?にカウナスやリエターヴァスでの巡回写真展が行われたとのこと。ここで日本人の写真を拝見するとは思わなかった。
館長が親切にリエターヴァスの歴史を説明してくださり、またミコラス・オギンスキスが作曲した作品を聴かせてくださった。そして最後にそのCDをくださったので、博物館のDVDを購入。
チュルリョーニスはオギンスキス公の管弦楽団のフルート奏者としてたびたびリエターヴァスを訪れていたそうだ。
ここの町は昔リトアニアの最先端を行っていて、ベルが電話を発明して間もなくリトアニアで初めての電話回線が引かれ、教会には電気が通ったらしい。
館長も通訳の女性ルータさんもとても親切な方で帰りはバスターミナルまで送ってくださり、バスの時間までギラとアイスクリームをごちそうしてくださった。そしてバスの運転手さんに「彼女をホテルまで送ってあげて!」とお願いまでしてくださりとても有り難かった。「来年にはこの町の公園も整備されてきれいになるからまた来年いらっしゃい」とおっしゃっていた。
リトアニアの人々は本当に親切で誠実でここに住みたくなってしまうほどだった。
ここで受けた親切は一生忘れないだろう。
ホテルへ無事戻り、明日のヴィリニュス行きの方法を模索する。こんな田舎町の学生寮のようなホテルなのにWifiが使えたので助かった。ipod touchでバスの時間を検索する。電車で帰るとある約束の時間に間に合わないので、バスで戻ることにした。幸い日曜日は高速直通バスが走っているのだ。
夜中に雷鳴が轟き雹が降った。ホテルの天井が崩れてきやしないか心配になるほどだった。。。